2022年12月9日、およそ2年に渡って議論が続いたEU電池指令の改正案について、欧州議会と欧州理事会との間で合意が成立した。今後指令として発行されるまでにはまだ手続きが残るが、概ね合意した方針が採用される見込みである。
詳細については、下記欧州議会及び欧州委員会のリンクで確認することができる。
この改正で注目されるポイントは、拡大生産者責任とデューデリジェンス規制の追加、そして本稿で取り上げる「バッテリーパスポート」の採用である。
〈目次〉
1.EU電池指令改正で採用される「バッテリーパスポート」
欧州委員会のプレスリリースでも取り上げられているが、バッテリーパスポートは、バッテリーのバリューチェーン全体とライフサイクルの各段階の情報を、統一されたデジタルプラットフォームで記録することにより、デジタルツイン*1を実現し、透明性を確保することを目的としている。
*1:実社会のデータをサーバ―上の仮想空間で再現すること。
バッテリーパスポートの対象となる製品は、輸入品を含む2kWh超の産業用及びEV用電池である。原材料の採掘からリサイクル、リサイクル材の利用に至る全バリューチェーン情報を統一プラットフォームで記録管理することとなる。また、バッテリーパスポート情報にリンクしたQRコードの電池本体へのラベル付けも義務化される。
どのような情報をどのレベルで記録管理するのかについては、2024年までに技術的な規則として決まる予定である。この技術的な規則は委任法(Delegated Act)*2として制定していく見込みで、すでに32個以上の委任法候補があることが伝えられている。欧州企業は、EU電池指令の改正後に津波のようにやってくるといわれる、これらの技術的な規制を注視している。
*2:欧州委員会が採択する非立法行為で、法律の本質的でない要素を修正または補足する役割を果たすもの。
バッテリーパスポートに記録される情報は、下記のものが含まれる。今後追加や修正が加わるため最終的なものではないが、現状の改正案で採用が予定されているものは下記のとおりである。
バッテリーパスポートに記録される情報:
鉱山、材料原産地、材料生産者、部品生産者、セル生産者、モジュール生産者、最終製品生産者、重量、用途、化学的組成(材料比率等)、リサイクル再生材含有率、ID、種類、形式、製品名、性能、耐久性、製造時の炭素排出量、危険物、電池の健康診断、炭素排出影響、指令適合宣言、移動・収集、デューデリジェンス関連、保有履歴、ライフサイクル炭素排出量、ライフサイクルにおける環境影響
バッテリーパスポートは、グローバル・バッテリー・アライアンス(GBA:Global Battery Alliance)が推進しており、今回のEU電池指令の改正により、世界で初めて正式に実装されることになる。
GBAは、2017 年に世界経済フォーラムで設立された官民のコラボレーション・プラットフォームである。120以上の加盟組織の中には、世界銀行グループ、世界資源研究所、欧州輸送環境連合などが含まれ、強いロビー力を有している。また、欧米の鉱山企業、化学企業、電池メーカー、自動車メーカー、その他多くの利害関係組織が加盟している。
設立の目的は、2030 年までに「持続可能な」バッテリーのバリューチェーン構築を支援することである。言い換えれば、バッテリーのバリューチェーン全体を持続可能にするためのルール作りを支援する組織である。
欧州ではヨーロッパ・バッテリー・アライアンス(EBA:European Battery Alliance)が同じく2017年に設立され、現在、440以上の企業や組織が加盟している。EBAの設立目的は、EU内でバッテリーに関係する技術を開発し、バッテリーの生産工場(能力)をEU内に構築することであり、名前は似ているが両団体の設立目的は異なる。
2.バッテリーパスポート採用の背景にあるデューデリジェンス
GBAは2022年12月10日に「バッテリーパスポートの人権指標と児童労働指標」を発表した。この指標は、児童労働の撤廃と人権尊重に向けた、バッテリーのバリュー チェーンに特化した企業または製品の取り組みを測定、採点する世界初の枠組みである。
今回のEU電池指令の改正でも、バッテリー原材料の供給に対して、厳しいデューデリジェンス規則を設定する方針が示されている。EU電池指令の改正は、GBAの方針と歩調を合わせているのである。実は、このデューデリジェンス規制が、ライフサイクルでの炭素排出規制と並び、欧米のバッテリー戦略の生命線の1つなのである。
例えば、現在、バッテリーの最重要材料の1つであるコバルトの原産地は、約70%がコンゴ民主共和国 (以下、コンゴ) 1ヶ国に集中している。コンゴの主要な19のコバルト鉱山のうち、15ヶ所は中国企業が所有しており、産業用コバルトのおよそ80%はすでに中国企業がシェアを有している。過去10 年以上にわたり、中国企業は数十億ドルを費やして、コンゴのコバルト地帯で米国と欧州の鉱山会社を買収してきた。
鉱山での児童労働、低賃金、劣悪な環境での炭鉱夫の労働条件、人種差別、地域の環境汚染、賄賂など、現地ではこれまで様々なデューデリジェンス関連の問題が生じてきた。コンゴで最大級の鉱山を持つスイスの鉱業大手グレンコア社は、2007年から2018年にかけて、コンゴを含むいくつかのアフリカ諸国の役人に賄賂を贈ったことで、2022年12月5日、罰金としてコンゴ政府に1億8000万ドルを支払うことで合意している。
中国企業として最大の鉱山をコンゴに持つ中国モリブデンもコンゴ政府との間に問題を抱えているが、コンゴ政府と中国企業アライアンスの60億ドルの契約や、中国政府のインフラ整備支援等の様々な政治的理由があり、今のところ操業停止や巨額な罰金問題に至っていない。つまり、デューデリジェンス関連情報がバッテリーパスポート内に記録される場合、透明性の面で中国材は不利になる。
バッテリーのもう1つの重要な材料であるニッケルについては、2021年の鉱山生産量の上位5ヶ国はインドネシア、フィリピン、ニューカレドニア、ロシア、オーストラリアである。中国企業がすでにインドネシアとロシアからの供給を伸ばす中、これらの材料を使ったバッテリーが大量に欧米に供給された場合、バッテリーの覇権は中国が手にし続けることになる。
材料の原産地およびデューデリジェンス規制は、欧米が、特に中国のバッテリーとバッテリー材料の津波から自国を防ぐための1つの戦略となる。
また、それ以上に重要な点がもう一つある。
バッテリーパスポートは、ライフサイクル全体で製品のバリューチェーン情報が全て記録されるため、クラウド上に記録される何より膨大なデータそのものに非常に高い価値があることである。
GBAのメンバーに、マイクロソフトや非鉄の世界最大の取引所であるロンドン金属取引所(LME:London Metal Exchange)が入っていることにも注目したい。世界銀行、国連環境計画、OECD、ユニセフ、GAHP等、バッテリーやその材料と直接関係の少ない金融、人権、環境、貿易の国際的な機関がメンバーに入っていることからも、GBAが狙うバッテリーパスポートの膨大なデータとアーカイブ情報がいかに重要であるかは、想像に難しくないのではないだろうか。
現代社会では、様々な、そして膨大な個人情報がビッグテックのプラットフォーム上に記録され、それらはプラットフォーマーに膨大な利益と独占的な権益をもたらしている。
バッテリーパスポートは、EV社会の中でバッテリーという基軸部品のライフサイクルデータをプラットフォーム上に蓄積することで、同じような効果をもたらすツールとみることはできないだろうか。それこそが、この規制の真の狙いと考えられる。
【参考資料】
CIRCULARISEによるバッテリーパスポートの要求事項詳細
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