気候変動が事業活動に及ぼす影響は、近年ますます顕著になってきている。「気候シナリオ分析」は、不確実性の高い気候変動、およびそれらが及ぼす社会への影響が、中長期的に企業の事業活動とりわけ戦略や財務状況に与える影響を多角的に評価するための手法である。本稿では、「気候シナリオ分析」の基本概念・重要性からリスク重要度評価、シナリオ群定義、事業インパクト評価、対応策の検討、情報開示に至るプロセスを詳しく紹介する。
目次
- 気候シナリオ分析とは何か?
1-1.気候シナリオ分析の基本概念
1-2.気候シナリオ分析の重要性 - 気候シナリオ分析のプロセス
2-1.リスクと機会の特定と評価のステップ
2-2.インパクト評価の方法
2-3.対応策の策定 - リスク管理への応用
- 財務インパクトの算定
- 気候シナリオ分析の結果と開示
- 気候シナリオ分析まとめ
1.気候シナリオ分析とは何か?
1-1.気候シナリオ分析の基本概念
気候シナリオ分析とは、複数の将来シナリオを設定し、それぞれの前提条件のもとで事業活動・戦略・財務への影響を体系的に評価することで、将来の様々な状況に対し、柔軟かつ堅牢な戦略計画を策定するための方法である。例えば、気候変動の影響による規制強化や市場の変化などから、中長期的な視点でさまざまなリスクと機会を検討することができる。企業は気候関連リスクを最小限に抑えつつ、新たな事業機会を具体的に捉えることが可能となり、非常に不確実性が高い社会環境下での持続可能な成長戦略を描きやすくなる。
1-2.気候シナリオ分析の重要性
気候シナリオ分析におけるシナリオはあくまで仮説によるものであり、正確な成果や予測をもたらすわけではない。しかしながら、シナリオは特定の傾向が継続した場合、もしくは特定の条件が満たされた場合の将来の見通しはどのようになるのかを検討する際に有用なものとなる。たとえば、年間平均気温が産業革命前(1850~1900年平均)より4℃高くなった場合の洪水の発生頻度の増加が工場稼働にどのように影響を及ぼすかといった事業リスクや、平均気温の上昇がもたらす人々のライフスタイルの変化を汲んだ製品やサービスの提供といったビジネス機会を想定することを可能にする。そしてそれらに時間軸も加え、中長期的に事業、戦略および財務実績にどのように影響を及ぼすかを検討し、評価することができる。これらの評価の結果を開示することにより、金融機関をはじめとした様々なステークホルダーと対話を円滑に行うことが可能となる。とりわけ投資家にとっては、企業の戦略や財務計画の持続可能性を理解し、企業比較することに役立つ。
2.気候シナリオ分析のプロセス
2-1.リスクと機会の特定と評価のステップ
気候関連のリスクと機会の特定と評価のステップは、気候シナリオ分析を行うための重要なプロセスである。まず、気候変動が自社の事業やサプライチェーン、顧客にどのような影響を与えるか、短期・中期・長期の時間軸に分けて具体的な気候関連のリスクと機会を洗い出す。例えば、気温の上昇やエネルギー価格の変化、規制の強化やバリューチェーンの動向などが挙げられる。その後、特定したリスクと機会の事業における重要度を影響の程度や発生可能性という点から定量的・定性的な分析方法を用いて評価する。リスクと機会の重要度の評価結果を踏まえて、リスク低減策や新たな機会の創出に向けた戦略を検討する。この一連のプロセスにより、企業は気候関連リスクに対する備えを強化し新たなビジネス機会の創出することにより、持続可能な成長を実現する基盤を築くことができる。
2-2.インパクト評価の方法
インパクト評価は、特定されたリスクと機会が事業に与える影響(インパクト)を把握する方法で、各シナリオが自社の事業・財務に与える影響を、数値データによる定量的評価と、ブランド・社会的信用への影響を言語化する定性的評価の二軸で実施する。定量的評価では、例えば気温上昇や異常気象が企業の収益・コスト構造にどのような変化をもたらすか、数値データを用いて分析する。例えば、エネルギーコストの増加や原材料調達コストの変動など、気候関連リスクが財務面に与える影響をモデル化する。一方、定性的評価では、企業ブランドや社会的信用に及ぼす気候変動の影響を言語化し、ステークホルダーへの波及効果を明確にする。これらの評価を通じて、企業は気候変動によるリスクだけでなく、新たなビジネス機会も特定でき、戦略的な意思決定に役立てることが可能である。また、評価結果を踏まえて事業の将来像を描き、持続可能な成長のための具体策を策定する。なお、SSBJ気候関連開示基準において気候関連リスク・機会の財務的影響の定量的開示を要求しており、今後は定性的開示だけではなく、定量的開示を増やすことになると思われる。
2-3.対応策の策定
気候関連リスクと機会の特定と評価によって明らかとなった事業への影響を踏まえ、リスクや機会の具体的な内容に即した対策を検討する。
例えば、気候変動がもたらすリスク(たとえば異常気象によるサプライチェーンの混乱といった物理リスクや、規制強化といった移行リスク)と、機会(例えば、再生可能エネルギー導入によるコスト削減といったエネルギー源由来の機会や環境配慮型製品への需要増加といった製品・サービス上の機会)を体系的に評価し、対応策を検討する。
このように気候シナリオ分析を活用することで、企業は短期的なリスク回避だけでなく、中長期的な成長も見据えた柔軟な経営戦略を立案することができる。立案の際には、サプライチェーン全体における取組の見直しや、ステークホルダーとの協働といった視点も重要となる。加えて、SSBJおよびIFRS S2は、リスク、機会のモニタリングプロセスとその更新頻度を開示することを求めており、政策規制、市場動向の継続的な把握とシナリオ設定の定期的な見直しが不可欠である。
3.リスク管理への応用
リスク管理は、企業が持続可能な成長を目指す上で欠かせないプロセスである。近年、気候関連リスクが多様化・複雑化しており、従来の手法だけでは十分な対応が難しくなっている。そのため、気候シナリオ分析の手法を活用して、将来起こりうる気候関連リスクを具体的に評価し、変化に備えた戦略を立てることが求められる。また、既存のリスク管理枠組みを見直し、気候変動に関するリスク管理と統合して柔軟に変化できる体制を整えることも効果的である。これにより、企業は事業環境の変化に対する財務的レジリエンスを高めつつ、リスク低減と新たなビジネスの機会の創出を同時に実現できる。
4.財務インパクトの算定
企業内のデータや社外の多様な情報源から信頼性の高いデータを集め、気候変動がもたらすリスクや新たなビジネス機会をより精度高く把握することが可能となる。特に、設定した気候変動のシナリオに、情報やデータに基づくパラメータを反映させ、財務影響の変動を試算、企業は自社がどのような影響が及ぶのかを評価し、持続可能な戦略を立てることが可能になる。さらに情報収集や分析のプロセスを継続的に見直し、最新の情報やデータを活用することにより、さらに高い実行力をもって対応することができる。財務インパクトの算定のためには、国内外における様々なイニシアティブの情報収集、組織を取り巻く社会状況、と組織内のデータ収集と分析が不可欠である。
5.気候シナリオ分析の結果と開示
高い不確実性で変動する外部環境に対した戦略的な対応は、企業が持続可能な成長を実現するために欠かせないものである。そのため、気候シナリオ分析の結果得られた、気候関連リスクと機会や財務インパクト、対応策を自社の事業戦略やリスク管理に統合し、将来の経営判断に生かすことが重要である。さらに、気候シナリオ分析とその結果は、投資先の気候変動に対するレジリエンスやリスクを評価する投資家に有用な情報であるため、SSBJ等の開示フレームワークを参照して開示を行う必要がある。
6.気候シナリオ分析まとめ
気候シナリオ分析は、気候変動がもたらす不確実性を複数の経路や時間軸でシミュレーションし、自社の事業戦略の強靭性(レジリエンス)と財務インパクトを可視化するプロセスである。これはTCFD提言、ひいてはそれを引き継いだ国際基準であるIFRS S2(ISSB)や、段階的な適用義務化スケジュールが定まった日本国内のSSBJ基準が共通して開示を要求する、サステナビリティ情報開示の実務における中核をなしている。
近年、気候変動が企業活動に与える影響がさらに顕著になっている。本稿を通じて、気候シナリオ分析の基本概念から具体的なプロセス、そして実際の活用方法までを体系的に整理したことにより、企業が将来に向けて持続可能な戦略を構築し、気候関連リスクを的確に管理するための基盤が明確になったのではないだろうか。今後は、自社の事業特性に即した気候シナリオ分析を実践し、戦略的意思決定の精度を高めることが求められる。まず対象範囲と時間軸を定め、リスク・機会の洗い出しから財務インパクトの試算、そして情報開示へと段階的に取り組むことで、気候変動の不確実性に対する経営上の備えが整うだろう。